ただ『さよならを教えて』を語るだけ

最近、『さよならを教えて』をあらためてプレイした影響で、考察動画を見まくってました。

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それで自分の中でも色々と説が出てきたので吐き出していきます。

ネタバレ全開だから閲覧注意だぞー!

 

このゲームであまり考察されてないのが【プレイヤーの存在】についてです。

これを語るには主人公の事について、まず語らないといけません。

主人公は人見広介ですが、この人格はゲーム開始時点(PC版なら名前を決めるタイミング)で作られたものであり、別の主人格が存在していると思います。

その主人格の名前は人見広介ではなく、高島◯◯(名前は不明だが、広介ではないと思われる)で、夕方以外の時間に浮上しています。

夕方以外も人見に肉体を明け渡すと、教育実習生じゃない事に人見が気付いてしまい、妄想世界が保てなくなるから?

でも、一度だけ夕方以外に人見が浮上してるっぽいんだよなー(ヒロイン二人の夢から覚めた時。寝起きにビール飲んでたやつ)

自身と切り離した存在として作ったのが人見広介、そして人見が判断に迷う時に方向性を示すために【プレイヤー】という人格が同時に作られたのだと思います。

だから、「さて…どこへ行こうか?」という問いにプレイヤーが応えていたり、発言を選んだりする場面があるわけです。

ただし、最終的な決定権は人見が持っているので、こちらの選択に賛同出来ないときは無視されますし、屋上へ行けと指示しても違う場所へ行ったりします。

また、人見の人格が肉体を支配しているので、彼が見たくない聞きたくない情報は遮断されます。

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そのため、このように都合良く聞き取れない状況が生まれるのです。

「じゃあ、エンディング前の瀬美奈ととなえの会話はなぜ聞けたんだ?」って話になるんだけど、人見の人格の消滅と同時にプレイヤーも役割から解放されたので、プレイヤー本来の立ち位置(俯瞰視点)に戻れたのかな、と。

つまり、ゲーム開始時にプレイヤーが主人公の体内に取り込まれ、主人公のサブの人格として形成されたって感じです。

まあ、これは大抵のゲームに言えることだけど、通常のゲームは決定権をプレイヤーに委ねてくれるから意識する事はないですよね。

そういう意味でこのゲームは全ての決定権が人見に委ねられているので、プレイヤーの存在意義も主人格同様あまり無いです。

 

上記の説からいくと、このゲームはゲーム版lain(知らない方は是非調べてみてね!)と真逆の鬱ゲーだなと思いました。

lainはゲームから現実に侵食してくるわけですが、さよ教はその逆で現実からゲームに引きずり込むわけです。

 

そもそもなぜ教育実習生の妄想なんかしてるのかというと、全ては【巣鴨睦月】の存在にあります。

主人公は悪夢の後に巣鴨睦月と出会いますが、おそらく主人格は悪夢以前に巣鴨睦月と会っています。

可愛い女の子が入院してきた

見た目的にたぶん学生だ

(最初はここで制服着てるのかと思ったけど、制服は主人公の妄想って設定資料集に書いてあったから普通の私服だったと思われる。リボンの形が自由だったり、股下3cmのスカートが制服の学校なんてあるわけないわ)

学生と深く関われるのは家族もしくは学校関係者だ

教育実習生・人見広介、爆⭐︎誕

 

だいたいこんな流れじゃないかと。

「いや、どうせなら教師の方がずっと妄想出来て良くね?」ってなるんですけど、一人前の教師とするにはあまりに未熟すぎて、妄想する事が出来なかったんでしょうね。

こよりが作中で言ってた「傲慢なまでの卑屈さ」ってやつです。

教育実習生という設定なら「上手く話せないのは自分が教育実習生だから」って言い訳出来ますし、瀬美奈と対等でない理由にも出来ます。

教師じゃないから昼間の授業シーンがスキップしてても、次の授業の準備をしなくても問題ないし、日誌を書かされるのも教育実習生だから。

そうすると、保健医のとなえさんのところに毎日行くのは筋が通らない。

そこで「唯一タバコを吸って許される場所だから(お前どこでもスパスパ吸ってるやん)」という形で道理を(無理矢理)通したわけです。

そして、わざわざこんな妄想をしてまで巣鴨睦月に固執したのは、彼女を恋人にする事で初めての【自己実現】となり、この生活に【さよなら】出来ると思ったから。

でも、そうする前に睦月から助けを求められてしまった。

それで自己実現を諦めてでも彼女を助けようとしたあたり、主人公は本当は心優しい性格だったんじゃないかと思います。

巣鴨睦月がいなくなった以上、教育実習生である必要がなくなったので、人見広介とプレイヤーの人格を消失させました。

 

で、大森さんに依存するというラスト、あれはバッドエンドでもないのかもと思うようになりまし。

「ヒロインの苗字が全員山手線の駅名なのは、出口のない袋小路に主人公が入り込んでしまった」事を表しているというのであれば、「京浜東北線大森駅に乗り換えた」と考える事も出来るわけです。

京浜東北線は山手線とは違い、終点が存在します。

どんな結末になるかはともかく、なにがしかの終わりには辿り着けるのではないかと思います。

まあ、大森さんの無能っぷりからすると、行き着く先は地獄な気がしますが。

 

余談ですが、元ネタとなったフランソワーズ・アルディの『さよならを教えて』。

気付いてる人もいるかと思いますがこの曲、実は本編BGMに組み込まれてます。

前奏部分のベースっぽい音。

あれが、『さよならの黄昏』のベース部分でずーっと流れてます。

最初全然気付かなかったとか何年音楽やってんだよって感じですね。

あとは、『さよならの黄昏2』も後半のピアノで奏でられてますね。

for eliseに比べると曲の知名度も関係して気付いてる人が少なそうなので一応書いときました。

組み込み方を考えるに、さよならの黄昏がメインテーマって事なんだろうか?

何か意図があるんだろうし、今こそサントラの冊子を見たいのに見つからない…🤯

結局何が言いたいのかというと、「やはりさっぽろももこさんは天才だ!」って事です(小並感)

 

さよ教は割と定期的にプレイしたくなるんだけど、先の予定を考えると衣装製作を優先したい…。

人見のボイスを付けた映像を作成するしかないかな?

男声読み上げソフトで良いのがないか探してみよー。